明治(めいじ)時代になってあたらしい国づくりがはじまりました。ヨーロッパやアメリカの仕組みを勉強し、よい物、進んだ物をどしどしとり入れました。
  すべての青少年が平等に学習する教育の仕組みもとり入れました。そこで、たくさんのえんぴつが必要(ひつよう)になりました。それまでのわが国の学習用の筆記具は、おもに筆で、これは筆算(ひっさん)などには不便(ふべん)でした。
  そこで、ろう石をえんぴつのように細く加工(かこう)した石筆(せきひつ)というものを考案(こうあん)して代用した時代もありました。これは石盤(せきばん)といううすい石の板の上に文字を書いては消すというように使いました。子どもたちにはとても重かったのでした。
  そのため、わが国では自分の力でえんぴつをつくるために、オーストリアやドイツに伝習生(でんしゅうせい)を送り、勉強させたのでした。
  しかし、学生がふえるスピードには間にあわず、ほとんどの生徒は外国でつくられたえんぴつを使っていました。
  1873年(明治6年)に、外国でえんぴつやガラスなどのつくりかたを学んだ伝習生(でんしゅうせい)が帰国しました。そして、そのつくりかたに習って小池卯八郎(こいけ・うはちろう)さんが、わが国で最初(さいしょ)にえんぴつをつくったとされています。
  小池さんは
1877年(明治10年)に東京・上野で行われた「第1回 内国勧業博覧会(ないこく・かんぎょう・はくらんかい)」で、「教育ノ器具(きょういく・の・きぐ)」として、国産(こくさん/自分の国でつくった)のえんぴつを出品したのでした。
  また、眞崎仁六(まさき・にろく)さんは、1878年(明治11年)、フランスのパリで開かれた博覧会(はくらんかい)で出品(しゅっぴん)されていたえんぴつを見て、そのつくりかたをひとりで研究(けんきゅう)しました。
  そして、
1887年(明治20年)に水車(すいしゃ)を動力(どうりょく)とするえんぴつ工場を東京に建(た)てたのでした。
  こうしてわが国の子どもたちは、国産(こくさん)のえんぴつを使うようになっていくのでした。
  明治(めいじ)時代にえんぴつをつくりはじめ、いまも変(か)わらずえんぴつをつくりつづけている100年以上の歴史(れきし)をもつ会社がいくつもあります。
  いまはシャープペンシルやボールペン、マーキングペンなどもつくっています。えんぴつをつくることを通じて学んだことを生かして、いろいろな筆記具をつくるようになったのです。

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