創立100周年記念祝賀会を開催
   日本鉛筆工業協同組合は、平成24年5月18日上野精養軒で、組合創立100周年記念祝賀会を開催しました。
   ご来賓には荒川区長様をはじめ所轄官庁の方々をお招きし、組合員ならびに関係者70名が組合の慶事を祝いました。
   また途中では、鉛筆組合「100年の歩み」のスライドショーが行われ、皆、応時を懐かしく振り返りました。
【理事長挨拶】
   鉛筆組合は明治45年1月10日に東京鉛筆製造組合として設立され、本年で創立100周年を迎えることができました。これもみなさん方のこれまでのご努力のおかげです。
   明治政府は教育に力を入れ、学校を整備するとともに、教育を義務化しました。これによって鉛筆の需要が飛躍的に増えていきました。荒川区を中心に鉛筆製造業者が集まっているのは、当時、鉛筆に使う木材が三河島駅に集積されていたので、運送に利便性がいいということであったそうです。鉛筆製造業者は、協力し合い、いいものをつくろうと努力した結果、地場産業にまで発展することができました。それが今日、日本の筆記具産業を世界のリーダーに育てた原動力になったのだと思います。
数原英一郎 理事長
   よく企業の平均寿命は30年といわれていますが、組合員の3分の2が60年以上の社歴があり、更に5分の1は90年を超えているという、驚くべき事実があります。鉛筆がいかに消費者に愛されているかがわかります。日本では明治10年ごろに鉛筆の国産化がはじまり、明治11年(1878年)のパリ万国博で鉛筆をみた日本人がそのすばらしさを認め、それから国産化が本格的にスタートしました。その時の万国博では、グラハム・ベルの電話機やエジソンの蓄音機、写真が花形商品でありました。それから130年経った現在、電話機も蓄音機も写真もデジタル化の影響を受け、姿、形を変えたものになってしまいました。そういう流れの中にあって、鉛筆は100年前とほとんど形は変わっておらず、すばらしい価値を提供してきたことが今日でも使用されていることに繋がっています。そういう生業を誇りに思います。
   しかし、われわれを取り巻く環境は大きく変わり、児童数は半減し、鉛筆の生産量は全盛時の五分の一にまで減っています。先輩方の努力のおかげで、大災害、昭和の大恐慌、戦争などを乗り越え、100周年を迎えることができました。しかしながら、未来は過去の延長線上にはありません。この大きな節目に当たり、先輩方のご苦労をたたえるとともに、次に繋げることがわれわれの大きな責務であると考えます。
経済産業省 江川邦雄 日用品室長 西川太一郎 荒川区長

小川晃弘 副理事長 柴田邦光 副理事長

参加者全員の記念写真

鉛筆組合「100年の歩み」のスライドショー


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